こんにちは、パラーツの鈴木です。
本日は、学問のすゝめで提唱されている「政府と渡りあう」について説明いたします。
まえがき
前回の「この国の平和と安定を守る」での福澤諭吉さんの主張は、以下です。
・愚かな民の上には厳しい政府がある。
・人民は学問を志して徳を身につけ、政府は社会的役割にふさわしい知識や人間性を備える。
今回の主張の前提は、以下です。
・政府と人民は、基本的人権に関してまったく同等である。
・政府の仕事は、法律を作り、悪人を罰し善人を守ることである。
・ところが、年貢を増やす「御国恩に報いる」と言われた。
・人間というものが平等の人権を持っているということをきちんと認識せずに、社会的な貧富・強弱というものを盾にとって、強い政府が弱い人民の権利を妨害してきた。
学問のすゝめ 政府とわたりあえる人民たれ 原文と現代語訳
●原文(福澤諭吉著:学問のすゝめより)
右は百姓・町人に左袒(さたん)して思うさまに勢いを張れという議論なれども、また一方より言えば別に論ずることあり。およそ人を取り扱うには、その相手の人物次第にておのずからその法の加減もなかるべからず。元来、人民と政府との間柄はもと同一体にてその職分を区別し、政府は人民の名代となりて法を施し、人民は必ずこの法を守るべしと、固く約束したるものなり。譬(たと)えば今、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府の法に従うべしと条約を結びたる人民なり。ゆえにひとたび国法と定まりたることは、たといあるいは人民一個のために不便利あるも、その改革まではこれを動かすを得ず、小心翼々謹(つつし)みて守らざるべからす。これすなわち人民の職分なり。しかるに無学文盲、理非の理の字も知らず、身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ、その無学のくせに欲は深く、目の前に人を欺きて巧にも政府の法を遁(のが)れ、国法の何ものたるを知らず、己(おの)が職分の何ものたるを知らず、子をばよく生めどもその子を教うるの道を知らず、いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者にて、その子孫繁栄すれば一国の益はなさずして、かえって害をなす者なきにあらず。かかる馬鹿者を取り扱うにはとても道理をもってすべからず、不本意ながら力をもって威(おど)し、一時の大害を鎮(しず)むるよりほかに方便あることなし。
これすなわち世に暴政府のある所以(ゆえん)なり。ひとりわが旧幕府のみならず、アジア諸国古来みな然り。されば一国の暴政は必ずしも暴君暴史の所為のみあらず、その実は人民の無智をもってみずから招く禍なり。他人にけしかえられて暗殺を企つる者もあり、新法を誤解して一揆を起こすものあり、強訴を名として金持の家を毀(こぼ)ち、酒を飲み銭を盗む者あり。その挙動はほとんど人間の所業と思われず。かかる賊民を取り扱うには、釈迦や孔子も名案なきは必定、ぜひとも苛刻(かこく)の政を行なうことなるべし。ゆえにいわく、人民もし暴政を避けんと欲せば、すみやかに学問にみずから才徳を高くして、平府と相対し同位同等の地位に昇らざるべからず。これすなわち余輩の勧むる学問の趣意なり。
●現代語訳(要約:齋藤孝訳:現代語訳学問のすすめより)
・百姓や町人に味方して思うように権理を主張せよ、と言っているようである。
・人を取り扱うにあたっては、その相手によって扱い方も変わってくるものなのだ。
・恥も法も知らない者がいる。
・ある国の暴力的な政府というのは、暴君やとんでもない官僚のせいばかりではなく、その大元は、国民の無知が原因であって、自ら招いた災いとも言える。
・人民がもし暴力的な政府を避けようとするならば、いますぐ学問に志して、自分の才能や人間生を高め、政府と同等の地位にのぼるようにしなければならない。
パラーツ流:政府とわたりあえるの解釈(パラーツ×Gemini)
「政府とわたりあえる」という言葉を共通言語(法と実学)を持った対等な対話と定義。
●学問をOSのインストールと定義
・学問のすゝめの「学問」の現代版は、ワーカーにとっての基本実学OSと考えられる。
・基本実学OSがないと、目の前の課題解決ができず、自由な主体となれない。
●わたりあえる:避難できる権利を持つ
・理不尽な状態から、知的に避難できる知識と実力を持つ。
●至誠と独立の融合
・「わたりあえる」ためには、自らが信義則(誠実さ)の体現者である必要がある。
あとがき
base 基本的人権において同等ですが!
多様な人が集まり、組織・村・街・都市・国・世界を作っている訳ですが、基本的人権から、同等という思想を基にすると、相手に扱い方を変えてもらえるように「学ばないといけない」ということです。
参考文献
参考図書 福沢諭吉:学問のすすめ 青空文庫 20120618
参考図書 福澤諭吉・斎藤孝:現代語訳学問のすすめ ちくま書房 2011.03.25
