こんにちは、パラーツの鈴木です。
本日は、学問のすゝめ「国家の独立とは」について説明いたします。
はじめに
国家の独立についてです。
福澤諭吉さんの独立に対する思いは、私がいつも社会工学等を学ばせて頂いている藤井聡さんがよくご説明されていることです。
個人が独立の気概を持ち、組織が独立して、国が独立すること、そして、しっかりとした基盤を後世に遺すことは、本当に大切なことです。
学問のすゝめ 国家の独立とは
●原文(福澤諭吉著:学問のすゝめより)
また自由独立ことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。わが日本はアジア州の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交わりを結ばず、ひとり自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易(こうえき)のこと始まり、今日の有様に及びしことにて、開港の後もいろいろと議論多く、鎖国攘夷(じょうい)などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところははなはだ狭く、諺(ことわざ)に言う「井の中の蛙(かわず)」にて、その議論とるに足らず。日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輸に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥じることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴(こくど)にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄(す)てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。
しかるを志那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄夷狄(いてきいてき)と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤(いや)しめこれを嫌(きら)い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄にくるしめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。
●現代語訳(要約:齋藤孝:現代語訳学問のすすめより)
・自由独立ということは、個人だけのことではなく、国においても言える。
・日本はアジアの東の島国で、むかしから外国と交わりを結ばなかった。
・日本といっても、西洋諸国といっても、同じ天地の間にあり、(中略)こちらで余っているものは向こうに渡し、向こうで余っているものはこちらにもらう。お互いに教え学びあい、恥じることもいばることもない。
・「天理人道(天が定めた自由平等の原理)」にしたがって交わり、(中略)恐れることはない。国がはじかしめられるときには、日本国中のみなが命を投げ出しても国の威厳を保とうとする。これが一国の自由独立ということなのだ。
・(前略)まったく国として身のほどを知らないところからきている。個人の例で言えば、自由の本質をわきまえないでわがまま放題におちいったものといえるだろう。
考察
「威厳を保とうとする」こと、これが主権だと思います。お互いに協力することは大切なことですが、バランスが悪くなると主従関係になってしまうという示唆だと思います。
まとめ
base 主権を意識する
第二次世界大戦後生まれの私の印象では、世界では、予想もしていない程の戦争等の争いが起こっています。私たちに主権の意識がないとどうなるか?・・・
参考文献等
参考文献 福沢諭吉:学問のすすめ 青空文庫 20120618
参考文献 福澤諭吉・斎藤孝:現代語訳学問のすすめ ちくま書房 2011.03.25