こんにちは、パラーツの鈴木です。
本日は、学問のすゝめ「愛国心・第二条」について説明いたします。
はじめに
「愛国心」の第二条です。
独立の意識のない日本人の卑屈さが、日本国の卑屈さになってしまうという説明です。
「独立の気概がない者は、必ず人に頼ることになる」という部分を意識して、人に頼る気持ちを「自分で努力して乗り越える」に変えることが重要だと思います。
学問のすゝめ 日本人の卑屈は日本国の卑屈
●原文(福澤諭吉著:学問のすゝめより)
内に居て独立の地位を得ざる者は、外にありて外国人に接するときもまた独立の権義伸ぶること能わず。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり。常に人を恐れ人にへつらう者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる「習い。性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きものなり。譬(たと)えば今、日本にて平等に苗字・乗馬を許し、裁判所の風も改まりて、表向きはまず士族と同等のようなれども、その習慣にわかに変ぜず、平民の根性は以前として旧(もと)の平民に異ならず、言語も賤(いや)しく応援も賤しく、目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず、立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、その柔順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。実に無気力の鉄面皮と言うべし。
昔鎖国の世に旧幕府のごとき窮屈なる政を行なう時代なれば、人民に気力なきもその政事に差しつかざるのみならずかえって便利なるゆえ、ことさらにこれを無智に陥(おとしい)れ、無理に柔順ならしむるをもって役人の得意をなせしことなれども、今、外国と交わるの日に至りてはこれがために大なる弊害あり。譬えば田舎の商人ら、恐れながら外国の交易に志して横浜などへ来る者あれば、ます外国人の骨格たくましきを見てこれに驚き、すでにすでに肝を落として、追い追いこの外国人に近づき取引きするに及んでは、その駆引きのするどきに驚き、あるいは無理なる理屈を言いかけらるることあればただに驚くのみならず、その威力に震い懼(おそ)れて。無理と知りながら大なる損亡を受け大なる恥辱を蒙(こうむ)ることあり。こは一人の損亡にあらず。一国の損亡なり。一人の恥辱にあらず、一国の恥辱なり。実に馬鹿らしきようなれども、先祖代々独立の気を吸わざる町人根性、武士にはくるしめられ、裁判所には叱られ、一人扶持(いちにんぶち)取る足軽に逢(あ)いてもお旦那さまと崇(あが)めし魂は腹の底まで腐れつき、一朝一夕に洗うべからず、かかる臆病神の手下ども」が、この大胆不敵なる外国人に逢いて、胆をぬかるるは無理ならぬことなり。これすなわち内に居て独立を得ざる者は外ありても独立すること能わざるの証拠なり。
●現代語訳(要約:齋藤孝:現代語訳学問のすすめより)
・国内で独立した立場を持たない人間は、国外に向かって外国人に接するときも、独立の権理を主張できない。
・独立の気概がない者は、必ず人に頼ることになる。人に頼る者は、必ずその人を恐れることになる。人を恐れる者は、必ずその人間にへつらうようになる。常に人を恐れ、へつらう者は、だんだんとそれに慣れ、面の皮がどんどん厚くなり、恥じるべきことを恥じず、論じるべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばかりとなる。
・むかし鎖国の世に、旧幕府のように窮屈な政治をやっていた頃なら、人民が無気力でも、政治に差支えがないどころか、かえって便がよかった。そのため、わざと人民を無知のままにしておき、むりやり従順にしたてることなどを役人も得意にしていたのだったが、いま外国と交際していく時代になっては、これが大きな弊害となる。
・(田舎の商人を例に上げ、外国商人との取引を例にしながら)ただ一人の商人の損にはとどまらない。一国の損である。ただ一人の商人の恥にはとどまらない。一国の恥である。
・こんな臆病神の手下のような者が、大胆不敵な外国人に会って度肝をぬかれるのは無理もないこと。これが国内で独立できない者は、国外に向かっても独立が出来ないということの証拠である。
まとめ
base 卑屈にならない。
本当の独立(創業・起業)はたいへん難しいことですが、自分が卑屈にならないため・日本国や組織が卑屈にならないために、独立心を持つことは誰にでもできるとおもいます。頑張ってみてください。