こんにちは、パラーツの鈴木です。
本日は、竹田学校 歴史入門編から「学問はひとつである」を説明いたします。
まえがき
私は、この感覚はとても良く分かります。自分の成し遂げたい目的に向かって進んで行くと、既成の専門分化された学問の学びだけでは、事柄を深く探求できなくなります。
極めて当たり前のことですが、なかなか気づかないことです。竹田恒泰さんがその理由を明快に説明されているので、ご紹介いたします。たいへん共感いたします。
参考講義:竹田学校 歴史入門編・学問は一つである
(講師:竹田恒泰さん)
●人間の知識
・仮にひとりの人間の容量を100%とすると、1%もない。
●認識の分かれ
①知っていること。
②知らないと知っていること。
③知らないことさえ知らないこと。
●専門家と総合的に考えられる人
・専門家は必要。
・総合的に物事を考える人も必要。
●結論
・学問の壁によって、自分の可能性を制限してはならない。
参考講義:竹田学校 歴史入門編・学問は一つである
考察
「認識の分かれ」の項目の①②③を理解することが大切です。ソクラテスの「無知の知」は②に該当すると思っています。
学べば学ぶほど、学ばないといけないことが無限に増えていきます。ただ、それが苦しいことか、自分にとってマイナスかというと、まったく異なり、楽しくて、自分にとってプラスです。私が実践していますから、これは実践者の感想です。
あとがき
base 自ら選んだ狭義の専門を正しく見る
自ら選んだ狭義の専門を活かしながら、より良い人生を生きるためには、他の分野から自分が選んだ専門を眺めて真価をしっかりと理解して、その真価をどう発展させることが自分と社会にとって良いことか?それを行うと楽しくなると思います。
私が、パラーツで実践していることです。