こんにちは、パラーツの鈴木です。
本日は、禅語の現成公案(げんじょうこうあん)について説明いたします。
はじめに
現成公案とは、自然界にあるすべてをありのままに受け入れること。すべてをありのままに受け入れることが悟りにつながるという、禅の根幹を表す言葉です。
現成公案は、自分の周辺の世界の認識方法を示したもので、正法眼蔵の出発点となる言葉です。
*正法眼蔵とは、釈迦の正法を正しく読み取る智慧を教えようとした書物。
現成公案とは?
現成公案1(100分de名著・正法眼蔵より)
● 原文
諸法の仏法なる時節、すなは(わ)ち迷悟あり、修行あり、生(しょう)あり、死あり。
諸仏あり、衆生(しゅじょう)あり。
万法(まんぽう)ともにわれにあらざる時節、まどひ(い)なくさとりなく、諸仏なく衆生(しゅじょう)なく、生(しょう)なく滅(めつ)なし。
● 解釈
「諸法の仏法なる時節」は、現実世界を仏法(仏の教え)で眺めると、とたんに迷い、また逆に悟り等がでてくる。(たいてい損得計算にたって見ているが、仏法によって現実世界を見ると)
「万法(まんぽう)ともにわれにあらざる時節」は、身心脱落したあとの世界認識で、自我意識を消滅させ、悟りの世界に溶け込むこと。すると迷いや悟り等がなく、ただあるがままの現成という教えです。
*身心脱落とは、あらゆる自我意識を捨ててしまうこと。
一般的には悟りの瞬間を表現した言葉であるが、ここでは、さらなる自己啓発へと向かう言葉。
現成公案2(100分de名著・正法眼蔵より)
● 原文
仏教をならふ(う)といふ(う)は、自己をならふ(う)也。自己をならふ(う)というふ(う)は、自己をわするゝなり。自己をわするゝというふ(う)は、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝというふ(う)は、自己の身心および他己の身心をして脱落(だつらく)せしむるなり。
● 解釈
仏道を学ぶということは、自己を学ぶことだ。自己を学ぶということは、自己を忘れること。自己を忘れるということは、悟りの世界に目覚めさせられることである。悟りの世界に目覚めさせられるということは、自己および他己(他なる自己、すなわち自分のうちにある他人)を脱落させることである。
関連
曹洞宗のYouTubeチャンネルで、正法眼蔵について分かり易く説明している動画がありましたので、関連動画として紹介しておきます。
・道元禅師が、お釈迦さまから伝わった正しい教えを書き残されたもの。
・75巻や95巻にまとめたものが、正法眼蔵。
・お釈迦さまの教えと悟りについて説かれている。
・正法眼蔵は、宗教書としてだけでなく、哲学書としても国内外で読まれている。
・正法は、お釈迦さまの正しい教えのこと。さとりの真実のこと。
・眼蔵は、眼(まなこ)と蔵(くら)を合わせたもの。
参考動画:禅のこころ-曹洞宗 正法眼蔵(法話)
考察
天から与えられた現成をそのまま受容していくしかない現実が多いことに気づき、ないものねだりをするのではなく、既にあるものを受け入れ、そこからスタートすることを気づかせてくれる言葉です。
膨大な量の情報により表現される現実世界について、どのような解釈で捉えるべきかか難しいですが、現実世界を解釈をする方法を教えて頂いていると捉えると良いと思っています。
まとめ
base 現実世界を仏法(仏のこころを意識した上)で見る
今までの記事コンテンツの中で、私は、仏教を、良いライフスタイル、より良い生き方をする方法、こころの病院等と説明して来ました。損得計算で世界を見るのではなく、そのような意味の仏法で現実世界を見るという教えを意識することで何らかの気づきがあると思います。
参考文献等
参考文献 道元・ひろさちや:100分de名著 正法眼蔵 NHKテキスト 2016.11
参考文献 週刊朝日百科 仏教を歩く03 道元 朝日新聞出版 2013.03.10